この階段を登ると…2階(当たり前)

脱・真面目、適当を目指して。

認知症のおばあちゃんを受け入れるココロ2

ようやく、少しだけ、受け入れるということができる可能性がみえてきた気がします。

毎日が、実験の場。

汚いとか、なんだか夜中に虚空を見つめていて気持ちがわるい心地になるとか、

そういうの、

それって私の器が狭かっただけ。

なぜ受け入れ難かったかと言うと、自分の都合と、私の器の範囲外のことを認める器量が無いからなんだと思いました。

汚れたら洗うというめんどくさい作業が追加されるからいや、という自己都合。
何考えてるか分からないから受け付けないという器量の狭さ。

これが分かりました。
これが今の私なのです。
今の私、が分からなければ前には一歩も進めません。


自分以外のことは、例え家族でもすべて理解することはできません。
でも、受け入れることはできます。
できないところに、私の心を磨くヒントがあるのです。

もし私がおばあちゃんだったら、、、とおもうと、、、今の私は理想の孫には程遠いでしょう。

まだ生きていてくれることに感謝して、少しずつでも変わっていきたい。