この階段を登ると…2階(当たり前)

脱・真面目、適当を目指して。

私と母 7

病の目的とはなんでしょうか。

それもシンプルでした。

私が教えて頂いたことはこうでした。

 

「生き方が違うよ」というメッセージだということです。

だとすれば、今までの私の生き方のどこかを改めてゆけば病の目的は達せられ、存在目的がなくなるので消えていく、ということになります。

 

私の生き方のどこが?

たぶんいろいろあるけれど、コレ!というものはなんだろう……?

 

それは、「感謝」が足りない、ということでした。

足りないどころではありません、全くしていなかったのです。

というか、生きる意味が分からないのにどこに感謝すればいいの?生きていたいと思わないのに?と思っていた私だったので、本当に感謝などただの1回もしたことがなかったのです。

 

生きる目的を知った今ならば、生きていることに感謝できます、だからいろいろなことに感謝できます。

本当ならば、もっと心清い人間だったならば、条件などつけなくても感謝の心が自然に湧くと思います。

私は心汚い人間だという事なのです。

ですから、少しでも汚れを落としていきたいと思っています。

 

さて、病をクリアするには、「感謝」とにもかくにも「感謝」。

私が今日一日、生きられたこと。

お手洗いに行けたこと。

お水が存在してくれていること。

部屋があること。

与えられていること、当たり前に思っていること、感謝探しの毎日です。

本当はどんなことであろうと、感謝なのですが、感謝の初心者ですので、感謝探しからです。

 

私はおもいました。

病を治すためにする感謝は、感謝と少し違う気がする。

私の心根から感謝を感じていきたいと思いました。

 

しかしながら、私の病は1ヵ月経った頃急激に悪化し、とうとう吐血が始まりました。

どうして?

この疑問は、ずっと後になって解けることになります。

 

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