この階段を登ると…2階(当たり前)

脱・真面目、適当を目指して。

私と母 8

体力はどんどんなくなっていく。

食べ物も食べたいのだけど、食べると必ず激痛に何時間も襲われることになる。

食べていなくても、ひたすらに、痛かったですね。

 

そんな中でもわくわく「氣」ランドの教室に通うことはしたかったので、何時間もかけて行っていました。

歩くのも休み休みしかできません。

駅で階段を登ったところで歩けなくなり、休んでいたら駅員さんに声をかけられ、駅舎で休ませていただいたこともありました。

最終的には、駅まで歩いていくことができなくなり、タクシーを捕まえて行くことまでしました。

 

ただ、楽しかったのです。

砂漠を彷徨って希望を捨てた瞬間に、オアシスに出会えたときのように。

心がパラレボ理論を欲していたのです。

 

さて、タクシーで教室まで行った時、そこで出会った方の一人が一人で帰れないんじゃない?と自宅に泊めてくださると言ってくださいました。

 

本当はそこで病院に行けばよかったんですよね、そうしたら迷惑かけずに済んだ。

 

だけど、私はお言葉に甘えることにしました。

そうして2日間、泊めていただきました。

 

泊めていただいている間に、私はイスからも一人で立ち上がることができなくなりました。

トイレにも自力ではいけなくなりました。

 

私はまだなんとかなるはず、と意地を張っていましたが、トイレに自力でいけなくなって観念しました。

救急車を呼んで運んでいただくことにしました。

 

まあ、当たり前ですが、救急隊員の方にも、看護士の方にも、非難されました。

ゴミを見るような目でみられました。

まさに私はゴミであろう、人間の屑とも言えるな、と思うし、自分の撒いた種としか言い訳のしようもないので、粛々と受け止める、ことに努めました。

 

1つ目の病院で、96才くらいのおばあさんがご臨終です、という時の栄養状態です、と言われました。

2つ目の病院へ移って、直後、腸が穴だらけで出血している、今すぐに手術しないと死ぬということになり、まず肺に管を通しました。

肋骨の間から、肺胞に直接空気を送るのです。

それをしないと手術も受けられない程弱っていたのです。

 

腸の手術とは、人工肛門をつける、という手術でした。

とにかく腸を休ませないとやばい、ってことで。

人工肛門のことを全く知らなかったので、お尻の穴にプラスチック的なやつをはめこむのかな、程度に思っていました。

 

全く違いました。

 

お腹に肛門を作るのです。

それはお腹に丸く穴をあけて、そこから切り取った腸の出口が顔を出している状態にしておくのです。

 

でも、他に手立てがないので、嫌とは当然ながら言いませんでした。

全身麻酔の手術、すでに死にそうなので、目が覚めるかどうかは分からない。

 

どうなるかについてあれこれ思っても仕方ない、むしろありがたいとおもいました。

私はほっとしていたのです。

 

続く

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