この階段を登ると…2階(当たり前)

脱・真面目、適当を目指して。

母という存在が真逆に変わった件

今日のセルフ・ヒーリング実践研究会主催のわくわく「氣」ランドの授業の中で。

四コマ漫画のイラストを見て、おのおのストーリーを考えるというコーナー(?)がありました。

 

私の作ったストーリーは。

 

男の子が散歩中、迷い子犬を見つけました。

お母さんを探してあげようと見回すと、犬の行列が。

あ、あそこにいるかもね?と駆け寄って、先頭の犬に、この子のお母さんですか?と聞きました。

犬は、そうです!はぐれてたのも気づかなかったわ。ありがとうございます。と答えました。

男の子は思いました、この子はきっとすごいどんくさくて、またはぐれるだろう。

そこで男の子はお母さん犬にいいました。

今日は僕がこの子を乳母車に乗せてお家まで送って行きますね、と。

終わり。

 

という話でした。

 

母犬はうちのお母さんの投影。

はぐれ犬は私。

なんだなと作ってから思いました。

 

 

そして。

教室が終わってから、母といろいろと話していて。

 

子どもが小さかった時の話を、前にも何度か聞いていた話を、また聴いただけなんですが。

 

私は、

母が後ろをふり向いて存在を確かめないのは、愛がないからだ、と思っていました。

関心がないのだ、子どもがたくさんいるから一人くらいいなくなっても分からないだろう、と思っていました。

 

だけど、違うって事が、理解できたのです。

 

そう、全く違ったのです。

 

母は、前だけを向いて必死に外敵から子ども達を守っていたのだと。

必死すぎて後ろを振り向く余裕などなかった。

 

関心がなかったわけでも、

愛がなかったわけでも、

なんでもない。

 

逆なんだ。

 

いろいろなものに、体を張って立ち向かっていてくれたのが、母だったのだ。

子ども達がちゃんとついてきてくれていると信じて。

 

自分の心の汚さを呪いたい。

私が愚かだっただけなのだ。

またまた母には心底謝らねばならない。

言葉にすると陳腐になってしまうのがもどかしい。

 

だけど、やっと、何かの端を掴めた気がしました。

私を変える、何かの。