この階段を登ると…2階(当たり前)

脱・真面目、適当を目指して。

寂しさには、愛

お教室で、今月は自分にお手紙を書いてみよう!という提案がありました。

そこには、いろいろな理由と意味があるのですが、長くなるので省きます。

 

それ、なんか気が向かなくて

自由な場所なので、嫌ならしなくても全然いいんですけど、なぜこんなに嫌なのかな?って自分に聞いてみました。

 

まず、物理的にブツが残るのがやだなってこと。

ゴミで捨てて、誰かに万が一読まれたら、恥ずかしいと思ってて。

これって、パラレボ理論でいう「体主霊従」ってやつ?!とひとつ発見。

※体主霊従…心や魂が、肉体(形あるもの)の奴隷となってる事

 

それから、なぜ残るのが嫌なのかな?と。

自分の痕跡が嫌なんですね。

つまり、自分を否定してる、過去を否定してる、そんな感じがしました。

 

そう。

想いを馳せたくない。

 

あまりにも辛かった。

生きているのが。

パラレボ理論に出会う前の、あの暗黒の時代を、私はおもいだしたくない。

 

パラレボ理論に出会って、

素敵な人とたくさん出会って、

苦労してない人などいないんだと知って、

みんな努力してきたんだと知って、

私なんかが辛かったとか思ったらめっちゃ被害者意識だし、そんな資格もないような、

まあ、とにかく自分が許せないんだと思いました。

 

何が辛かったのか、自分にきいてみました。

 

ものすごい私は寂しかったんだとおもいました。

ずっとずっと寂しかった人生だったな、そういう私をずっとみじめに思ってたな、と。

 

寂しくて詐欺にもあった、人も傷つけてきた、さみしいと悟られたら負けのような気がして仮面をつけて強がっていた、人間関係をうまくやる自信がない、傷つく前に最初から一人でいた方がマシ、、、。

 

みじめだった。

 

9月前半は、環境的には、すべての人間関係がうまくいかなくなって。

家族、友人、仲間。

ものすごく孤独感を味わっていました。

みじめでした。

 

そうか、

これに気づくための、あれこれだったのだなって思い、感謝まではいかないけど、良かったんだなと思えたら、

人間関係の歯車が回り出しました

うまくいきだしたんです。

 

不思議です。

でも、これが宇宙の法則どおりに動いてるってことなんだ、と実感しました。

 

苦しいあれこれも、辛いあれこれも、私へのギフト、という意味が少しわかりました。

だって、気づけば、その前よりもずっと楽になるんですから。

 

みじめな寂しい自分に、愛を手向けたいとおもいます。

 

孤独なのは、誰かのせいではありません。

親のせいでもありません。

自分自身の愛の足らなさ故なのです。

 

寂しさを埋めるのは、形や他人や、外にあるもので埋めることはできません

 

唯一、自分が自分に愛を手向けることです。

 

「愛するとは、理解する事」とこれもパラレボ理論でハッキリと教えていただいたことです。

 

こんな風に自分を理解して、受け入れて、ゆるしていくことが、自分自身を愛するということ、のようです。

 

と、私はおもいました、チャンチャン!

 

 

 

▼パラレボ理論を学べるところ

わくわく「氣」ランド

▼本

ゼロの革命