【プライムニュース】Japan2.0 経済同友会代表幹事 小林喜光氏 存在の価値とは?
BSフジ2016年11月28日放送の
に、ゲストとして、経済同友会代表幹事で『哲人経営者』と呼ばれる小林喜光氏が出ておられ、とても共感するものがありました。
下記、公益社団法人経済同友会のHPから引用しつつ、気になった内容をご紹介します☆
付加価値の比重はモノからサイバーに移行していく
サイバー空間の時代には重さの無い情報が付加価値を生みます。
それを「z=a+bi」と表しました。
経済の大きさとは、重さのあるリアルなモノや物質だけではなくて、重さのないバーチャルなコトや情報も大きさとしてカウントできます。
リアルタイムかつ全量データの把握・分析が技術的に視野に入ってきました。
これによって、人間の深層心理や本能に由来する未知の事象、自然科学の規則性の発見とその活用可能性など、特にバイオテクノロジーの分野を中心に未開のフロンティアが大きく広がっていくことでしょう。
これが『リアルとバーチャルの関係における変曲点』です。
これから日本企業が巻き返すには
リアル経済とバーチャル経済との融合や相互作用を、上手く利用することがポイントではないでしょうか。
第4次産業革命の到来を視野に、緒に就いたばかりのシェアリング経済や、もともと我々が得意なサーキュラー経済、すなわちグリーン指向の循環経済で、日本が世界をリードすることは十分可能です。
主要な経済統計であるGDPは、付加価値の総和です。
これは物質的に充足することで人々が幸福と感じる状態では、適切な尺度でした。
しかし、物質的に満たされた状態、イノベーションの加速でより良い商品・サービスがより安価で、次々に供給される状況では、GDPだけではなく効用というメトリック、すなわち測定基準がなければ、経済の実態を把握することができなくなっています。
若者世代の変化
昨年12月に経済同友会が派遣した米国ミッション(ミレニアル世代と呼ばれる1980年代、90年代生まれの多数の若者と面談)は、未来を予感させる大変興味深いものでした。
彼らは例外なく、モノより行動の方向性に価値を見出しており、モノはステータスではなく、道具に過ぎないという考え方を持っている
豊かな時代に生まれた今の若者には、大きな会社に入ってたくさんお金を稼ぐことよりも、社会、そして世界を変えることが最大のモチベーションになるという人が増えています。
まさに、これが付加価値と効用の関係における変曲点で、人々の満足感は大きく変わりつつあります。
国家価値の最大化
人間でいえば、勝つためには、心・技・体の総和あるいはバランスが必要であることと類似します。
- X軸…エコノミクス(すなわち「体」)
問題になるのは、経済統計のあり方で、付加価値と効用の関係性です。
金融緩和の出口論、資本効率の最適化、働き方の改革、経済成長と財政健全化の同時達成などの問題が該当します。 - Y軸…テクノロジー(すなわち「技」)
イノベーション・エコシステムの構築、来たるべき新産業革命に向けたBig Data、Internet of Things(モノのインターネット)、Artificial Intelligence(人工知能)、Robotics(ロボット工学)等の利活用などが該当します。そして、AIによって失われると言われる雇用は、激しいせめぎ合いが予想されますが、これら社会的インパクトもY軸に関連する問題です。 - Z軸…サステナビリティ(すなわち「心」)
日本固有の問題としては、税と社会保障の一体的な再改革、人口減少などが該当します。
また、グローバルアジェンダなどは、積極的に取り組んで世界に貢献できれば、日本の国家価値自体も大きく向上します。
これに該当するのが、安全保障、貧困・格差問題、地球の気候変動などの問題です。
『国家価値』は3次元のベクトルで表すことができ、その絶対値の最大化を目指す訳ですが、経済同友会が考える国家価値は、民間主導の経済社会の基盤の上に成り立っています。
ROEの改善は経営者として最大限努力しなければなりません。
しかし、その大前提となるのが、普段からの誠実かつ透明な経営の実践、コンプライアンスの厳守、そしてコーポレート・ガバナンスの徹底です。
社会からの信頼を失った企業は、国家価値への寄与どころか、その存在意義すらありません。
経営者や従業員、究極的には人としての倫理なくしては、国家の持続的発展はないことを肝に銘じておきたいと思います。
(以上、引用終わり)
目覚ましい進化を遂げているAI、人間の労働力・知力はだんだんAIにとって代わられる世界がやがてやってくることは間違いありません。
その中で、では、人間の存在価値とは?ということが問われていくことになるだろうと予測するのは的外れとは言えないでしょう。
モノや見えるものの時代ではなく、事や見えないものの時代にもうなりつつある、ということは日々実感している方も多いのではないでしょうか。
これからどこへ向かうかということは、人間は何のために生きているのか?という素朴な疑問にやがてつながることは自明の理です。
プライムニュース、非常に面白かったです。
いつでもどこでも「ほっ」とサロン
私の友人のママさん方がやっておられるサロンです。
いろいろと悩まれたり苦労されたり…そういう経験をされてきて少しでも同じようなことで悩まれたりしているママさんたちの力になりたいという熱い想いがあるそうです☆
先日、『異端のススメ(林修/小池百合子)』という本を読みました。
塾の講師をしている林先生の実感として、
「家庭環境が大切、そこで決まる」
みたいなことが書いてあって、すごく説得力がありました。
思っている以上に、子供の将来を左右するのかもしれません。
親も完璧じゃありません。
だからこそ、いろいろとお話を聞いたり、出かけたり、、、学ぶ姿勢というのがポイントになってくるのでは…と私なりに思いました。
親でなくても、一人の人間として、真摯に謙虚に学ぶ姿勢…を忘れずにいたいと思っています。
そうでないと、いいことをどんどん取り逃してしまいそうで(欲深)
明日は近所のヨガにいってきます。
はじめて。わくわく。
今日という日は一期一会
「一日を大切にできない人は、一生を大切にできない」
と教えていただいた事があります。
本当にそうだな、と感じる今日この頃です。
あれ、いつの間にか年末、、、今年一年で私は何をしてこれただろうか?と問いかける12月だからでしょうか。
今日一日を大切に生きるとは、シンプルなようで、
まあシンプルなんですが、難しいと思います。
突き詰めれば、一瞬一瞬を「今しかない」という想いで過ごしていく事、になるのでしょうか。
それができたら、充実した人生になる気がします。
今日という日は一期一会。
まずは、今日を大切にしたい、思い残すことのない一日を過ごしたい今月です。
【映画】 君の名は。
今日、というか、さっき。
観てきた。
職場の昼休みに話題になったので、
「そうだ、映画行こう。」
と思い立ち、レイトショー。
観て良かった。
見終わったあと、心に残るなにかがある。
なんとも言えない余韻が。
胸の奥に刺さるような。
私の心がぼろぼろと泣いている、と感じながら家路についた。
人生をかけて探していたものに出逢えたときの感動だろうか。
もう一度、観たいかも。
覚悟の瞬間(とき) -稲田朋美-
覚悟の瞬間という、様々な世界で「カッコイイ大人」にスポットをあてたインタビューサイトです。
稲田朋美さんのインタビュー、8分くらいですのでサクッと見ました。
「進むか進まないかで迷ったときは、進む」など、
それって素敵だなと思うワードや、私もそう言える人間になりたいと思うこともインタビューの中にありました。
稲田さんのように信念を持って行動でき、想いのある、心豊かな人間になりたいものです。
【本の感想】百人斬り裁判から南京へ(稲田朋美)
向井敏明少尉と野田毅少尉が軍刀に手をついて並んで立っている。この二人の少尉は、昭和十二年、シナ事変での南京攻略戦においてどちらが先に日本刀で一〇〇人の中国人を斬り殺すかという殺人競争をした「虐殺実行犯」として、その罪で敗戦後、南京軍事裁判にかけられて銃殺刑に処せられた。
(略)
向井敏明少尉の遺書
辞世
我は天地神明に誓ひ捕虜住民を殺害せる事全然なし。南京虐殺事件等の罪は絶対に受けません。死は天命と思ひ日本男子として立派に中国の土となります。然れ共魂は大八州島に帰ります。
我が死を以て中国抗戦八年の苦杯の遺恨流れ去り日華親善、東洋平和の因ともなれば捨石となり幸です。
中国の御奮闘を祈る
日本の敢奮を祈る
中国万歳
日本万歳
天皇陛下万歳
死して護国の鬼となります
十二月三十一日 十時記す 向井敏明
野田毅少尉の遺書
死刑に臨みての「辞世」
此の度中国法廷各位、弁護士、国防部各位、蒋主席の方々を煩はしましたる事に就き厚く御礼申上げます。
只俘虜、非戦闘員の虐殺、南京屠殺事件の罪名は絶対にお受け出来ません。お断り致します。死を賜はりましたる事に就ては天なりと観じ命なりと諦めて、日本男児の最後の如何なるものであるかをお見せ致します。
今後は我々を最後として我々の生命を以つて残余の戦犯嫌疑者の公正なる裁判に代へられん事をお願ひ致します。
宣伝や政策的意味を以つて死刑を判決したり、面目を以つて感情的に判決したり、或は抗戦八年の恨をはらさんがため、一方的裁判をしたりされない様に祈願致します。
我々は死刑を執行されて雨花台の散りましても貴国を怨むものではありません。我々の死が中国と日本の楔となり、両国の提携の基礎となり、東洋平和の人柱となり、ひいては世界平和が到来する事を喜ぶものであります。何卒我々の死を犬死、徒死たらしめない様に、それだけを祈願致します。
中国万歳
日本万歳
天皇陛下万歳
愕然とするおもいである。
なぜ、今まで知らなかったのだろう。
人間ならば、日本人なら特に、心動かされない人はいないとおもう。
もしも私が冤罪によって明日にも命を失おうとしている立場だったとしたら、この二方のようなおもいに至れるだろうか?
今、生かされている私たちは、二方のおもい・死にこたえるような生き方をしているだろうか?
それに、このような遺書を書く人が、いわれているようなことをするとは思えない。
それが私の素直な感想だ。
学校で嘘は教えない、とは限らない。
この遺書を読んでもらうことが一番の教育ではないのかとおもう。
このようなおもいで死んでいった二人に、一番後ろ足で砂をかけているのは、同じ日本人ではないのか。
知らずにいた私ではないのか。
稲田さんの純粋なおもい、遺族の方々のおもいにも心打たれる。
私に何かできることはないだろうか。
それで、ブログである。
もしも、共感して、この本を読もうとおもってくれるひとがいたら嬉しい。
まずは知る事、そこから何を学んで、どう活かしていくかが大切なんだとおもう。
(Amazonより写真引用)