認知症のおばあちゃんを受け入れるココロ
うちのおばあちゃんは、だいぶ前から認知症と診断されてる。
年齢になればだれでも認知症になる、とは思う。
だって、認知の機能は落ちるから。
会話はできる。
冗談も言う、だって、自分で言って自分でウケてるし。
ブラックユーモアも冴えてる。
認知症とは、
人間の魂がそのままむきだしになっていく現象、らしい。
おばあちゃんを見ていると、本当にそうだと思う。
私にはまだおばあちゃんを受け入れられないところがある。
認知症だからかどうか分からないけど、何が嫌って、不潔になったことだ。
歯を指で掃除するとか、皮膚片をたくさん落とすとか、廊下に鼻水たらすとか、たまにウンコを落としていくとか。
だけど、嫌なところもあれば、いいところもある。
ご飯やおやつを食べる時、
「美味しいわね~」
とか、
「ありがとうございます」
と言うところだ。
感謝の気持ちや言葉が出てくること。
これってなかなかできることじゃないと思うから、素敵だと思う。
これもおばあちゃんの魂だ。
汚いのも、感謝の気持ちを持っているのも、どちらもおばあちゃんだ。
汚い、と思う自分のココロが汚いと思うんだけど、なかなか受け入れられない。
私の課題。
どうしたらいいかなあと試行錯誤中。
どちらを見ていくか、ということだと思って、感謝の気持ちを持てるおばあちゃんに尊敬の気持ちを忘れないようにしようとも思う。
おばあちゃんを見ていると、年を取ったら、頭は役に立たないということを痛感する。
頭を鍛えても意味がない。
体を鍛えても意味がない。
心だ。
心がむき出しになる。
理性やらで隠していた心が、出てくる。
心を鍛えることが、年をとっても、認知症になってもキレイに生きることができることに通じる。
ついでに言うと、今の団塊の世代の方々や、その辺りの方々には、
こういう年の取り方をしたい!というお手本になるくらいの気概がほしい。