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この階段を登ると…2階(当たり前)

脱・真面目、適当を目指して。

私の中の左翼

私の育った家は、

朝日新聞をとり、

赤旗をとっていた。

 

日教組のドンのお膝元でもあり、

社会の教師は、自虐の歴史観をドンドン教え、暗に共産党がいいでしょ、と示唆する授業をしていた。

 

共産党はいい事を言っているように見えるのに、なぜみんな投票しないのか? という疑問はあった。

もしも共産主義の社会になったとしたら、世界は灰色だな、そうなりたくはないが…とも思っていた。

 

しかし私は着々と、

社会に対する反骨精神を育み、

共産党社会党に投票するまでに成長した。

 

恥ずかしいと思うが、

私の中に引き合うものがあるから、そういう環境に出会い、

そういう方向に進んでいったのだ、と今、納得している。

 

私の中の引き合うものとは、

私を産んだ母への恨み。

それによる強烈な自己嫌悪、自己否定だ。

 

母への反抗心が、社会への反抗心となり、

母への復讐心が、社会への復讐心となった。

 

宇宙の法則であるゼロの法則を読んだ今なら分かる。

それから、以前からの素朴な疑問も解けた。

 

私の愚かさ故に、ということが。

それが分かって良かったと思っている。

まだ分かるレベルで良かった。それは自分を誉めたい。

這い上がれるチャンスをもらった。

 

 

私の中に左翼的心があるので、いかにして暴力的になっていくのかという心情が分かるという自分を認めたくなかったが、分かるのだから仕方ない。

認めたくなくて、共産党社民党民主党各種運動家デモなど反吐が出るほど大嫌いという気持ちが溢れ出るが、それでは同じである。

矢印が逆になっただけである。

 

まずは自分の中の左翼を認めて、それから、私は自由になるのだ。

成長の一歩を踏み出すのだ。

 

怒りと恨みは、そのまま放っておくとどんどん膨れ上がって、加速し、塊となって、鬼となるのだ。

人間は、悲しいが、修羅鬼畜となれる。

「私は正しい」と思っている人ほど危ない、私がそうだから。

 

気づかぬうちに修羅鬼畜となっているし、その最中にはもちろんそんな風には思ってない。

 

昔話でなんかあった気がする。

怒り狂った女性が、ふと鏡にうつった自分を見たら鬼となっていた。その自分の姿を見て、我に返り、悲しんで山へ逃げていってしまった、というような話。

 

平和のためにはどんな暴力も違法も構わないというテロのようなおかしなことになっていくのだなと思った。

そしてそれがおかしいということも分からなくなるのが怒りや恨みの感情だ。

 

やるべきは、それがあると認めて、怒りや恨みを解放する努力をすることだと知った。

私はそれを努力していきたいと思っている。

時々、怠けちゃうけど、そういう自分も認めて。