この階段を登ると…2階(当たり前)

脱・真面目、適当を目指して。

妹の姿は私の姿

昨日、妹が激怒していました。

母に怒鳴って、ドアをバタン!と閉めたので、たぶん。
事実確認はしていませんが、私は怖くてソワソワでした。

こんな気持ちじゃ眠れない……
母はのんきにしている……怒りを向けられているというのに。
なぜ?
聞いてみましたら、妹の気持ちが分からないからではないという事が分かりました。
母は人の気持ちが分からない人という私の思い込みは違っていたと分かりました。
ただ、私とは反応が違うというだけで。

そして今朝、いつもだったら私は、
触らぬ神に祟りなしとばかりに、妹と遭遇するのを避けたでしょう。
今日は、もしかしたら、妹だったらまだ怒ってるはずと思ってるのは私の思い込みの姿で、違うかもしれない。
と思って、おはようと声をかけました。
そうしたら、普通におはようと返ってきたのです。
まさに、私の思っていた事は思い込みだったという事です。
一晩寝たら忘れるのか、切り替えられるのか、そこのところどうしてるのか聞いてみたいなと思いました。

ここで大切なことは、一晩寝ても忘れないで怒り続けるのが私である、という事です。
私の怒りを私が私に向けたら、怖くてたまらない、という怒りだという事です。

これが、妹の姿を見ているようで、私の姿だという事なのだと思いました。

なぜ私は怒りを忘れられないのだろう?
どういう種類の怒りなのだろう?
を解明していきたいです。


ところで、なぜ、今日は違うかもしれないと思えたかというと、
昨日オーラ写真を撮って、気づくアドバイスをいただいたからです。

日常をもっと丁寧に、という意味が少し分かったような気がしました。

私の思い込み、昨日今日気づけて良かった。
それは、セルフ・ヒーリング実践研究会でカウンセリング付きオーラ写真を撮るという事がなければ、気づかなかったでしょう。

これがそうか!という感動のような、楽しさのような、これがヤミツキになるんですよね。