人間の汚さ
あまりにも、人間とはつくづく汚いと。
それは自分のことだが、なんと、心狭い人間かと。
自分自身の言動を見てもそうだし、
国会を見てもそうだし、
偏向報道を見てもそうだし、
すごく悲しくなる。
なぜ感謝できないのかな。
なぜくだらない事にこだわっていつまでも駄々こねてしまうのかな。
なぜ私はこんなに心貧しいのかな。
石ころの方が私などよりよっぽど上等だ。
石ころは踏まれても蹴飛ばされても、文句も言わないでただそこに在る。
私はとりあえず文句を言う。
怒る。
あまりにも、自分の汚さに、人間の汚さに辛くて。
それは私の中の善か悪かに選り分ける心癖によっているのだが、その他にどうしたらよいのか分からない……とずっと苦しいおもいだった。
そうだ、教えてもらっているではないか。
『ありのままを無条件に全面的に感謝と喜びで受容する』と。
できるわけではないけれど、善か悪かという風に自分自身が物事を決めつけているということにまず気づく事からはじめようと思った7月だった。
そして、そういう捉え方をやめていきたい。
すべてはあってあるものなのだと、納得していきたい。