この階段を登ると…2階(当たり前)

脱・真面目、適当を目指して。

私と母 6

母と銀座に作品展を観に行く約束をしたのですが、体調が悪いままで、どうにもこうにも行けそうになく、気力だけではどうにもならず、母にキャンセルのメールを入れました。

そうしたら、作品展に行ったあと、家に来てくれる、と言ってくれました。
なにか必要なものあるかというので、食料を買ってきてほしいとお願いしました。
具合が悪く、買い物もままならなくなっていたのです。

家に来てくれた母は、鶏肉と野菜でスープを作ってくれました。

親とはありがたいな……と感じました。

スープを美味しく食べたあと、、、
私は母に産んでくれてありがとうと伝えようと心に決めていたのでいつ言おうと少し緊張もしていました。

そして、ぐずぐずとしつつ、今言わんでどうする?! 今でしょ!
「ママ、産んで育ててくれてありがとう」
と言いました。

母は、
何今すぐ死ぬみたいなこと言って、、、!
などと言っていました。

喜んでくれたのかは分かりませんが、とにかく
産んで育ててくれた事実を持って、ありがとうございます、という気持ちはあったので伝えました。

例え今死んだとしても後悔することがひとつ減ったと思いました。
子どもとして当然やるべきことかもしれませんが、私なりの親孝行のひとつでもありました。

母との関係をよくしたかったのは、
母との関係性が、私の人生に大きく影を落としているという感じがずっと今までしており、でもそれをどうすることもできませんでした。

そのどうすることもできなくて苦しんでいたことを、改善できる方法を、今、教えてもらったのです。
やらんわけにはいかん!でしょ。
誰のためでもない、自分のためです。

しかし、1回くらいありがとうと言ったからといって、もちろん、私の中の恨みが消えるわけではありません。
コツコツ関わることが必要でした。

わくわく「氣」ランドの教室は、月に9回あって、全部行ってもいいし、1回でもいいし、行かなくてもいい、自由なところでした。
私はすっかりトリコでした。

だって、面白すぎて。
なにげに疑問に思ってたことが、あれもこれも、納得がいく。
なんでもない日常が生きてくる。

今までどこでも聴いたことのない、全く新しい、しかも予想外の。
でも、いろいろなことがだからなんだ、と納得せざるを得ない、事実を持って。


ただ、生きていることが面白い。楽しい。

生まれてきて初めてでした。
こんなに楽しいと思ったのは。
ただ、息をしているだけなのに、楽しい。

なぜか、それは意味があるからです。
なにが起こっても、どんなことをしても、意味があるのです。
存在目的に向かって存在していなければ、すべてのことは無意味で無価値で無意義なのです。
そういう人生でいい人はそれでいいんだとおもいます。それもひとつです。

私は無意味で無価値で無意義なのだったら、死んだ方がいいな、って思っていましたし、
生きる目的に向かわなければどこに向かってどう生きたらいいのか分からなかったのです。
人生の目的を教えてもらったことは、私のものの見方を大きく変えました。
そして、私のいろいろを整えてくれました。

大事な事、どうでもいい事がわかるようになりました。
それだけでもスッキリです。


そういう楽しい中で、母との取り組みをしつつ、病への取り組みも並行していました。

この病の件も、母との関係性と大いに関係があるのです。
それは、ずっと後に分かることになります。

さて、とりあえず目の前にある病を片付けなければなりません。

5か月ほど37~38度台が平熱となって、下痢、血便が日常となっていました。
お腹の痛みで眠れないこともしばしばでした。


教室で、存在するすべてのものには存在目的があります、と教えていただきました。
ということは、病にも、目的があるのです。


続く


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幸せの匂い

嗅覚というのは、五感の中でも一番古い感覚だそうで、古い脳の大脳辺縁系とダイレクトにつながっているらしいです。

大脳辺縁系は、自律神経や記憶に関係しています。

その証拠に、特定の匂いを嗅ぐと思い出す光景があると思います。

例えば、雨の匂いから小学校の校庭を思い出すとか、ふとしたときに匂いから思い出す光景、ありますよね。

最近、私はカレーが、思っていたより、ずっと好きなんだなと思います。
そして、なぜ好きなんだろう??と疑問に思った時、私にとって、カレーの匂いは幸せの匂い、なんだなとおもいました。

カレー=幸せ感

という公式が私の中のどこかにあるんだと思います。

だから、夕飯時の道を歩いていて、カレーの匂いが漂ってきたりするだけで、なんだか嬉しい気持ちになるのです。

思い出せば、母のカレーは全く子ども向きではありませんでした。
母はこだわり派で、ラジオでやってたインド人が教える本格的なカレーを、そのまま作ってくれていました。
が、子どもには辛いばかりで、他に食べるものないから食べるという感じでした。

逆に祖母の家のカレーは、子ども向きのカレーでした。
遊びに行くと、祖母は必ずカレーとポテトフライとフルーツサラダを作ってくれたのです。
それは私の子供時代の幸せのひとつでした。

たまに食べる、ドロッとしていて、お肉とニンジンとじゃがいもがごろごろ入っているカレーが美味しかったからだけではありません。

祖母の家では、自由でした。
子どもらしく過ごせた時間で、いわゆる「普通」を体験できたのです。
祖母の家では、普段禁止されていることも言ったりしたりしてもいいのです、それが幸せでした。

しゃぼん玉、ジョアもこの幸せな記憶につながるものです。

匂いから、なんだか、懐かしいことを思い出しました。

そして、幸せの記憶をくれた祖母に感謝をおもいました。また母の激辛サラサラカレーが無ければ、祖母のカレーを幸せにおもう度合いがもっと低かったかも知れません。
まあ、母にも感謝しておこう(←エラソー)

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認知症のおばあちゃんを受け入れるココロ2

ようやく、少しだけ、受け入れるということができる可能性がみえてきた気がします。

毎日が、実験の場。

汚いとか、なんだか夜中に虚空を見つめていて気持ちがわるい心地になるとか、

そういうの、

それって私の器が狭かっただけ。

なぜ受け入れ難かったかと言うと、自分の都合と、私の器の範囲外のことを認める器量が無いからなんだと思いました。

汚れたら洗うというめんどくさい作業が追加されるからいや、という自己都合。
何考えてるか分からないから受け付けないという器量の狭さ。

これが分かりました。
これが今の私なのです。
今の私、が分からなければ前には一歩も進めません。


自分以外のことは、例え家族でもすべて理解することはできません。
でも、受け入れることはできます。
できないところに、私の心を磨くヒントがあるのです。

もし私がおばあちゃんだったら、、、とおもうと、、、今の私は理想の孫には程遠いでしょう。

まだ生きていてくれることに感謝して、少しずつでも変わっていきたい。

私と母 5

私の少ない友人たちの中でも特に関わりが多く仲の良い友人が教えてくれたのは、
わくわく氣ランドという教室でした。

私はそれまでにも、セラピーとか、なんとか療法とか、スピリチュアル系とか、占いとか、いろいろやってみていました。

マイブームがきては去っていく、その繰り返し。

どれもこれも大して変わらない、その時は変わったような気がするけれどまたすぐに元に戻ってしまう、、、。

かと言って宗教もいやでした。
なぜなら、救われる代わりに不自由になるのなら、救われなくても自由の方がずっといいと思うからです。
言いなりにはなれそうにありませんでした。


私なりの見分け方がありました。
依存させるものはバツ、という単純なものです。
それと、体験してみないと分からないということも学んでいました。
それは概ね、合っていたかな、と思います。

今思えば、セラピーもスピリチュアルも、本質的には全く自立の方向性ではなかったと思います。


ただ、生きている意味があるの? という素朴な疑問が解消されなければ私はどう生きていいのか分からなかったので、ずっとヒントを探していました。

それから、傷つかない心を手に入れたいとも思っていました。

それから、セラピーやらスピリチュアルやらに、苦労したね、傷ついてきたね、頑張ってるね、と言ってもらいたかった、それで自分の心を満たしたかったのです。


体験してみないと分からない、ニートの私はすぐにわくわく氣ランドに見学に行くことにしました。

そこでは、友人の言った通り、話を聴くだけ、でした。
そこで、人生の目的、を教えてもらいました。

愚かな私は、まだよく分かりませんでした。
ずっと探していた、なぜ生きているの?の答えに出会ったというのに。
続けて学ぶかも迷いました。
でも、なんだかするすると私の口が入会したいと言っていました。
とにかくやってみないと分からない。
自由な感じもありました。
ニートで良かった。暇人バンザイ。

二回目に行ったとき、母には産んでくれただけで感謝なんですよ、と教えてもらいました。
なぜなのか?も教えてもらいました。

人生の目的とセットになって、今度はよく分かりました。

私は心の底から納得し、感動し、夢中になりました。そこで教えてもらえるパラレボ理論というものに。

今までの素朴な疑問がするすると解けるのです。
面白すぎました。

超現実的で、理論的。

人生の原点である母親、そこへの気持ちが恨みならば人生は尻すぼみ、感謝ならば発展的になる、自分の人生を切り拓くには、母親への想いを感謝に変えて、親孝行していくことですと教えていただきました。

それも、やれとは言われません。

親孝行に仏像を買ってお祈りしなさい、とも言われません(笑)

愛することは理解すること、理解するにはコミュニケーション、ひたすら地味で現実的で、効果的です。

その二回目の教室の後、久しぶりに母にメールをしました。
内容は忘れましたが、元気?というようなだったかな。
続けて毎日メールを入れていた、と思います。

それから数日して、母の友人の作品展が銀座であると情報が入り、母に、一緒に行かない?とメールしました。
私は、産んで育ててくれてありがとう、と伝えるつもりでした。

続く

私と母 続きの続きの続き

私が病院に行かず、薬も飲まなかった理由、、、
それは、「病は気から」を証明するため、でした。

そして、周りの人間に、ほら私の言った通りだったでしょ、私の言ってることは合ってたでしょと認めさせたかったのです。

違えば、死ぬだけでした。

自分の命を賭けて、認めさせたかったのです。

何故そんなふうに思ったのか? そこに私の課題である心の癖が顕れていました。
でもその時には気づかなかった、今ならすべて解けるのですが。。。

症状は一進一退、小康状態が続きました。
微熱は下がることなく、37度が平熱になりました。
下痢も通常スタイルに。

私は少しずつ痩せ始めました。

就活以外は、ほとんどベッドで横になっていました。
実家は山梨、私は東京で一人暮らしでした。
兄弟仲も希薄です。

そんな状態のまま、5ヶ月くらい経った頃、私のたった1人心許せる友人が、ご飯に誘ってくれました。
2011年の2月頃でした。

いつも通り、いいよと答え、ちょうど私と同じようにバイトしながらニートしていた彼女が就職する、という決断をしたということで、不安だよ、という話を聞くのかな、そうしたら大丈夫だよと励ましてあげなくっちゃと思っていました。

でも会ったら全く違ったのです。
何とかなるでしょ、大丈夫、そんな言葉を言っていたのです。

なんとかなる、そんな前向きな言葉、彼女から聞いたこと無かったので、本当にびっくりしました。そして芯からポジティブになれていなくてもそういう言葉が出てくることがすごいとおもいました。

それと同時に、なんだか今までと違って、私は何のためにご飯にきたんだろとおもいましたが、そのまま不思議な気持ちで帰宅しました。

そして2月下旬に再び彼女からランチしようとお誘いがあり、ニートの私はいいよと答えました。

それが私の生死を分ける出会いへの第一歩でした。


続く

私と母 続きの続き

母とどうなったかの前に、
その時の私の状況を説明しておかねばなりません……

ひとつ、病気を患っていました。
ひとつ、仕事辞めて無職でした。
ひとつ、人生の展望なし、希望なし。

もうすぐ30になる時で、私は何もかも無くなった気持ちでいました。
もう何をどうしていいのか分からない気持ちでした。
人生を立て直したいとも思えませんでした。

高校を卒業した時にそれまでの友達2人を除いてすべてアドレス帳から削除し、それ以後、新しい人間関係もうまく築けておらず、気安く遊べるのは一人いてくれましたが、あとは虚しい人間関係のみでした。

仕事も、最初の話と違う……という不平不満いっぱいで辞めました。

その時から体調も悪くなり始め、一応受診だけしました。でも私は病院で出してくれる薬で治すつもりはありませんでした。

通院しろと言うので、責められるのが怖くて、病院には薬を飲んでるとウソをついて、通院しました。

良くならないので、転院の書類を書いてあげると言われ、その機会に一切病院に行くのもやめました。

どうしてそんな選択をしたのか、普通には理解に苦しむだろうと思います。

私には理由がありました。


続く

私と母 続き

次の一手、最後の一手。

 

母へのそれまでの恨み・憎しみの方向性から、真逆の感謝・愛という方向に向かって歩んでいきたい、できるか分からないけど、それが自然ならばそう歩いていきたいと思いました。

 

憎しみをやめられる。

恨みをクリアーにしていくことができる。

 

希望を感じました。

やればできる、という確信が私の心で感じ取れたのです。

そういうところは自分で自分を褒めたいです( 笑 )

 

どうすればいいか?

 

教えてもらったことは簡単でした。

愛することは理解することですよ、という。

理解するには、コミュニケーションを取らなければ理解できない……。

 

母の顔も見たくありませんでした。

言葉を交わすことも、触れられることももちろんNGでした。

 

死ぬときには母に傍にいて欲しくないと思う人間でした。

なぜなら、心がざわざわして嫌な気持ちになるからです。

 

 

だけど、できることからコミュニケーションをとっていけば、

心から感謝できる日がくるという可能性がある。

 

まずは、メールからでした。

 

続く