この階段を登ると…2階(当たり前)

脱・真面目、適当を目指して。

なんにも見えない

またおばあちゃんネタ。

 

おばあちゃん:なんにも見えない、もうなんにも見えないよ~!

 

私:(そりゃそーだろ、目つぶってるんだから)……目、開けてごらん。

 

おばあちゃん:……。

 

私:目、つぶってると見えないからね。

 

おばあちゃん:……目は開けられないのよ。

 

 私:そのうち開いたらまた見えるよ。

 

 

おばあちゃんの頭の回転の速さに驚く毎日です。認知症って面白いな。

 

目が閉じちゃう

昨日、

おばあちゃんと出掛けるため、玄関から車まで歩いてもらった時のこと。

おばあちゃん:もう目が閉じちゃう、閉じちゃう

私:(意味不明だけど……)おーけー。いいよ、閉じても。ずっと平らだから大丈夫だよ。(手引いてるし)


おばあちゃん:…………。

 

結果、バッチリ目を開けて車まで辿り着きました。

開けてられるんかい!

認知症のおばあちゃんの冴え渡るブラックジョーク

ある日のおばあちゃんとの会話

 

私:電気、消そうか?

 

おばあちゃん:ううん

 

私:いいの? もうそろそろ寝る時間だけど……

 

おばあちゃん:いいのよ、どちらにしてもいずれ暗くなるんだから。ありがとうね

 

私:?

 

おばあちゃん:今消さなくても、お迎えが来れば暗くなるんだからね(笑)

 

90代になったからこそ言えるジョーク。

ホントに認知症なのかね??(笑)

 

おばあちゃんのこういうとこ、たまらん。好きだな。

 

自分を知らないという発見

過去の自分のあれこれは分かる
だけど、今の自分のことは何も分からない

 

というコトが分かった

 

過去の自分を語れても、今は?


思い込み、過去こうだったからああだったから。


でも、今は?

 

……答えられない

 

 

自分のことを知らないのだと実感した

 

今日の私は、知らない私

 

自分自身はこうだ、と思い込んでいるところがあって、その色眼鏡でみている
細かく見れば、毎日違う私なんだろうな

 

今日は笑い飛ばすことができる私
昨日はしかめっ面の私


というように。

 

 

そこに心の作用がある


私という魂を軸として


そしてそれはまたもっと大きな存在を許してくれている何かを軸として

 

そんな感じがする

 

だから、今、の私を解明していきたいな

 


何も積み上げてないと思ったけど、
何かを積み上げてこなければ、
なにも気づかなかった

 

今日、できなくても、わからなくても、
わかりたいと思っていれば
かるときがくる

 

もし明日がくれば、だけど

 

分からないまま死ぬとしても
自分を責めるのは、やめよう

 

 

自己満足だけの人生

7月14日
私は今すごくがっかりしている
そして顔が上げられない

何も分かってない
何も積み上げてない
ただ自己満足のための人生
今死んだらこんなはずじゃなかったと後悔するだろう

なぜがっかりするの?
もっとできてると思ってた

パラレボ理論というものを、私は自分に都合良い時だけ利用してきただけなんだと思った

そして食に逃げる
食べたらなんとなく満足するから


気づけただけ良かったのかも

そして、またここからはじめる
許してもらえるのならば

私が私を許す事ができれば


今日のわくわく氣ランドの授業で、
気づけた事に感謝します

 

落ち込む。でも希望もある。
越えてゆきたい。

私には純粋さがないと感じた事の顛末

小学校5年生くらいの時、
大人など二度と信用しない、と強く思った出来事があった。

大人の二枚舌。
自分かわいさの保身の癖に、如何にもそれが正論という風に、大人の都合を振りかざして。
ずるいと思った。
裏切られたという衝撃。
その不正直さが許せないと思った。
最初からいえば良かったのだ、そして私の手柄は全く無視をして。

山梨という土地はみんながみんなそういう風に見えた。
嘘つきで、閉鎖的で、排他的。
田舎の人が優しいというのは嘘である。
人間というのは、汚い。
そう思った。

私のお母さんは受け入れられなかった。
私のお母さんも受け入れなかった。
お互い様であろうが、人を見下しやがって今に見ていろよ、という気持ちはその頃にけっこう培われてきたと思う。

今に見ていろよ、上にいっていつか見下ろしてやりたい。
お前らとは違うんだよ、という気持ち。

出発点が、恨みである。

これでは人生うまくいかないのは当たり前だと知った今、この事をどう納得していけば良いのか。

ひとつは、保身のためのずるさを私は内包しているということ。
ひとつは、被害者意識によっているということ。

なぜ私はこんなに恨みに思っているのかな?

そして次の日、朝の太陽と空を見て思った。

私には純粋さがない、悔しい悲しい残念、という自己否定の想いを。

いい悪いという基準でおもっているという事がひとつ。

それから、私にとっての純粋さとはキレイな心だけの事。
裏が無い事。
それは無理、ふたつでひとつなのだから。

裏っていうか、不正直である事。
とにかく最初からすべて出していた方が誠実なんじゃないかと思う。
それだと感情むき出しなだけで、なんか違うのでは?

もっと探ると、
私は不正直だと私が認識している。
嘘をつくのは、私の保身のため、である。
だから、後ろめたいのだ。

私はあの時の大人と同じ、あれは私の心なのだ。

そういう自分を許せないのだ。

そうだよね、あの時の大人たちの中に許せない自分自身をみていたのだ。

私が私を理解して、許せたら、あの時の想いも、消化できるのかもしれない。

 

妹の姿は私の姿

昨日、妹が激怒していました。

母に怒鳴って、ドアをバタン!と閉めたので、たぶん。
事実確認はしていませんが、私は怖くてソワソワでした。

こんな気持ちじゃ眠れない……
母はのんきにしている……怒りを向けられているというのに。
なぜ?
聞いてみましたら、妹の気持ちが分からないからではないという事が分かりました。
母は人の気持ちが分からない人という私の思い込みは違っていたと分かりました。
ただ、私とは反応が違うというだけで。

そして今朝、いつもだったら私は、
触らぬ神に祟りなしとばかりに、妹と遭遇するのを避けたでしょう。
今日は、もしかしたら、妹だったらまだ怒ってるはずと思ってるのは私の思い込みの姿で、違うかもしれない。
と思って、おはようと声をかけました。
そうしたら、普通におはようと返ってきたのです。
まさに、私の思っていた事は思い込みだったという事です。
一晩寝たら忘れるのか、切り替えられるのか、そこのところどうしてるのか聞いてみたいなと思いました。

ここで大切なことは、一晩寝ても忘れないで怒り続けるのが私である、という事です。
私の怒りを私が私に向けたら、怖くてたまらない、という怒りだという事です。

これが、妹の姿を見ているようで、私の姿だという事なのだと思いました。

なぜ私は怒りを忘れられないのだろう?
どういう種類の怒りなのだろう?
を解明していきたいです。


ところで、なぜ、今日は違うかもしれないと思えたかというと、
昨日オーラ写真を撮って、気づくアドバイスをいただいたからです。

日常をもっと丁寧に、という意味が少し分かったような気がしました。

私の思い込み、昨日今日気づけて良かった。
それは、セルフ・ヒーリング実践研究会でカウンセリング付きオーラ写真を撮るという事がなければ、気づかなかったでしょう。

これがそうか!という感動のような、楽しさのような、これがヤミツキになるんですよね。