私と母 続きの続き
母とどうなったかの前に、
その時の私の状況を説明しておかねばなりません……
ひとつ、病気を患っていました。
ひとつ、仕事辞めて無職でした。
ひとつ、人生の展望なし、希望なし。
もうすぐ30になる時で、私は何もかも無くなった気持ちでいました。
もう何をどうしていいのか分からない気持ちでした。
人生を立て直したいとも思えませんでした。
高校を卒業した時にそれまでの友達2人を除いてすべてアドレス帳から削除し、それ以後、新しい人間関係もうまく築けておらず、気安く遊べるのは一人いてくれましたが、あとは虚しい人間関係のみでした。
仕事も、最初の話と違う……という不平不満いっぱいで辞めました。
その時から体調も悪くなり始め、一応受診だけしました。でも私は病院で出してくれる薬で治すつもりはありませんでした。
通院しろと言うので、責められるのが怖くて、病院には薬を飲んでるとウソをついて、通院しました。
良くならないので、転院の書類を書いてあげると言われ、その機会に一切病院に行くのもやめました。
どうしてそんな選択をしたのか、普通には理解に苦しむだろうと思います。
私には理由がありました。
私と母 続き
次の一手、最後の一手。
母へのそれまでの恨み・憎しみの方向性から、真逆の感謝・愛という方向に向かって歩んでいきたい、できるか分からないけど、それが自然ならばそう歩いていきたいと思いました。
憎しみをやめられる。
恨みをクリアーにしていくことができる。
希望を感じました。
やればできる、という確信が私の心で感じ取れたのです。
そういうところは自分で自分を褒めたいです( 笑 )
どうすればいいか?
教えてもらったことは簡単でした。
愛することは理解することですよ、という。
理解するには、コミュニケーションを取らなければ理解できない……。
母の顔も見たくありませんでした。
言葉を交わすことも、触れられることももちろんNGでした。
死ぬときには母に傍にいて欲しくないと思う人間でした。
なぜなら、心がざわざわして嫌な気持ちになるからです。
だけど、できることからコミュニケーションをとっていけば、
心から感謝できる日がくるという可能性がある。
まずは、メールからでした。
私と母
皆さんは、この世に生まれる前にはどこにいましたか?
そう。お母さんのお腹の中です。
基本的には、皆例外なく。
私はパラレボ理論に出会って、母が自分の人生の出発点だから母への思いがネガティブならば、そこから広がる人生はネガティブに、ポジティブならばポジティブに広がっていくのだ、という事を理論的に教えていただきました。
本当にそうだと思いました。
私は母のことが大嫌いという事実と、
自分の人生がどん詰まりそうだという事実が目の前にあったからです。
病による死という王手をかけられていました。
あと一手で詰みです。
自分が間違っていたことに気づき、次に打つ手をどう指せばいいのか、今や明確に理解できました。
私の中の左翼
私の育った家は、
朝日新聞をとり、
赤旗をとっていた。
日教組のドンのお膝元でもあり、
社会の教師は、自虐の歴史観をドンドン教え、暗に共産党がいいでしょ、と示唆する授業をしていた。
共産党は一見いい事を言っているように見えるのに、なぜみんな投票しないのか? という疑問はあった。
もしも共産主義の社会になったとしたら、世界は灰色だな、そうなりたくはないが…とも思っていた。
しかし私は着々と、
社会に対する反骨精神を育み、
恥ずかしいと思うが、
私の中に引き合うものがあるから、そういう環境に出会い、
そういう方向に進んでいったのだ、と今、納得している。
私の中の引き合うものとは、
私を産んだ母への恨み。
それによる強烈な自己嫌悪、自己否定だ。
母への反抗心が、社会への反抗心となり、
母への復讐心が、社会への復讐心となった。
宇宙の法則であるゼロの法則を読んだ今なら分かる。
それから、以前からの素朴な疑問も解けた。
私の愚かさ故に、ということが。
それが分かって良かったと思っている。
まだ分かるレベルで良かった。それは自分を誉めたい。
這い上がれるチャンスをもらった。
私の中に左翼的心があるので、いかにして暴力的になっていくのかという心情が分かるという自分を認めたくなかったが、分かるのだから仕方ない。
認めたくなくて、共産党社民党民主党各種運動家デモなど反吐が出るほど大嫌いという気持ちが溢れ出るが、それでは同じである。
矢印が逆になっただけである。
まずは自分の中の左翼を認めて、それから、私は自由になるのだ。
成長の一歩を踏み出すのだ。
怒りと恨みは、そのまま放っておくとどんどん膨れ上がって、加速し、塊となって、鬼となるのだ。
人間は、悲しいが、修羅鬼畜となれる。
「私は正しい」と思っている人ほど危ない、私がそうだから。
気づかぬうちに修羅鬼畜となっているし、その最中にはもちろんそんな風には思ってない。
昔話でなんかあった気がする。
怒り狂った女性が、ふと鏡にうつった自分を見たら鬼となっていた。その自分の姿を見て、我に返り、悲しんで山へ逃げていってしまった、というような話。
平和のためにはどんな暴力も違法も構わないというテロのようなおかしなことになっていくのだなと思った。
そしてそれがおかしいということも分からなくなるのが怒りや恨みの感情だ。
やるべきは、それがあると認めて、怒りや恨みを解放する努力をすることだと知った。
私はそれを努力していきたいと思っている。
時々、怠けちゃうけど、そういう自分も認めて。
認知症のおばあちゃんを受け入れるココロ
うちのおばあちゃんは、だいぶ前から認知症と診断されてる。
年齢になればだれでも認知症になる、とは思う。
だって、認知の機能は落ちるから。
会話はできる。
冗談も言う、だって、自分で言って自分でウケてるし。
ブラックユーモアも冴えてる。
認知症とは、
人間の魂がそのままむきだしになっていく現象、らしい。
おばあちゃんを見ていると、本当にそうだと思う。
私にはまだおばあちゃんを受け入れられないところがある。
認知症だからかどうか分からないけど、何が嫌って、不潔になったことだ。
歯を指で掃除するとか、皮膚片をたくさん落とすとか、廊下に鼻水たらすとか、たまにウンコを落としていくとか。
だけど、嫌なところもあれば、いいところもある。
ご飯やおやつを食べる時、
「美味しいわね~」
とか、
「ありがとうございます」
と言うところだ。
感謝の気持ちや言葉が出てくること。
これってなかなかできることじゃないと思うから、素敵だと思う。
これもおばあちゃんの魂だ。
汚いのも、感謝の気持ちを持っているのも、どちらもおばあちゃんだ。
汚い、と思う自分のココロが汚いと思うんだけど、なかなか受け入れられない。
私の課題。
どうしたらいいかなあと試行錯誤中。
どちらを見ていくか、ということだと思って、感謝の気持ちを持てるおばあちゃんに尊敬の気持ちを忘れないようにしようとも思う。
おばあちゃんを見ていると、年を取ったら、頭は役に立たないということを痛感する。
頭を鍛えても意味がない。
体を鍛えても意味がない。
心だ。
心がむき出しになる。
理性やらで隠していた心が、出てくる。
心を鍛えることが、年をとっても、認知症になってもキレイに生きることができることに通じる。
ついでに言うと、今の団塊の世代の方々や、その辺りの方々には、
こういう年の取り方をしたい!というお手本になるくらいの気概がほしい。